不動産投資に社会的意義はあるのか

2020年12月17日1,907

「投資で儲けているだけの人は世の中に貢献していない」

と言う人をたまに見かける。

汗水たらして何かを生み出すことに労力を使うべきだという考えから、このような発言が出て来るのだろう。

こういうことを言う人は、概して経済学の基本がわかっていない。

知識がないだけならまだ救いようはあるが、自分のやっている仕事や事業は社会に貢献をしていて、他の人は社会の役に立っていないと心の底では考えているのだ。

知識が浅薄なのに加えて、思考自体が傲岸不遜であると言える。

利益を上げる方法に良し悪しはあるのか?

私自身は、会社員をやりながら投資家として長らく活動して来たわけだが、その立場ゆえに感情的に反論しているわけでは決してない。

経済に関与しているにも関わらず、社会活動に貢献していないなどという見解は、経済学の知識があり論理的な思考が出来る人からするとあり得ない発想なのだ。

まず「貢献」とは何なのかの定義づけから行うが、誰かのニーズに誰かが応えたなら、それは双方で貢献し合っていると言えるだろう。

野菜を買いたい人が八百屋に行き、お金を払って野菜を買う。

八百屋は仕入れ値と代金の差分を自分の利益にする。

八百屋が得る利益額が大きかろうと小さかろうと、客から文句を言われる筋合いはない。

その人はその価格で野菜を買いたいから八百屋から買うのであって、その価格で買いたくなければ買わなければいいだけの話だ。

八百屋は儲けたお金で、自分自身の食事のために魚屋に行くかもしれない。自分が買いたい魚が適正だと思う値段で売っていれば買うだろう。

こうしてお金は循環を繰り返し、大きな規模で経済が構築されるのだ。

(厳密には、徴収する税金で政府が公共サービスの提供を行うことを含めないと、経済全体の説明としては片手落ちになるが、わかりにくくなるので省略する。)

この例のポイントは、八百屋はいくら利益を得ていようと、野菜を買いたいと考えるお客さんのニーズに応えていれば問題がないという点だ。

10円で仕入れた野菜を八百屋が1000円で売っていようと、お客さんが1000円の野菜に価値を感じれば、お金を払うだろう。

需要と供給が一致していれば、取引は成立するのだ。両社とも満足であれば、そこに良し悪しの議論を挟む余地はない。

お客さんは野菜が買えたことを八百屋に感謝して、八百屋は代金をもらえたことに対してお礼を言うだろう。

投資も世の中の需要と供給に貢献している

では、先の八百屋の例を投資に置き換えるとどうなるだろうか。

株式や為替などの投資も、基本的には八百屋の例と同じように需要と供給によって成り立っている。

株式市場において、日立(6501)を○円で買いたいと考える人が居て、同じく○円で売りたいと考える人が居る。

これが合致すれば取引が成立し、株式の売買が行われることになる。

売った人は買ってくれたことに感謝するかどうかはわからないが、お金のやり取りが発生している以上、経済活動に関与していることは間違いない。

ではこの日立株の取引において、何が「貢献」だと言えるだろうか。このような売買を繰り返しマネーゲーム感覚でデイトレードを行うことに、社会的な意義があるのだろうか。

この取引により発生した事象だけを単純に考察すると、売りたい人と買いたい人はそれぞれの需要に応えて、日立の株の売買を行ったことになる。

これは前述した八百屋の例と何が違うのだろうか。

違いは全くない。

もしかすると、株の売買では付加価値の提供が出来ていないと考える人がいるだろうか?

このように考えるのは、物事に手を加えなければ意義がないと感じるメーカー系やサービス系の人達の思考だ。

需要と供給をつなぐ役目を担う商社や金融系の仕事をする人たちなら、そうは思わないだろう。

売りたい人と買いたい人で売買が繰り返し行われることにより、適正価格で売買出来る「市場」が形成されることになる。

一つの取引自体は確かに大河の一滴のごとくインパクトは小さいかもしれないが、それは何の仕事でも一緒だろう。

これを社会に対する「貢献」だとみなさないなら、社会貢献している企業や個人は存在しなくなってしまう。

資本主義社会では社会的意義がない経済活動は存在しない

この観点から言うと、株の日計り(デイトレード)で生活をしている人も、売買している株が市場で価格を形成し、流動性を担保することの一助になっているのだ。

買い手も売り手も少ない流動性がない上場企業の株は、適切な水準の株価にならない可能性が高い。

そうなると、その企業は買収の危機にさらされたりする危険がある。

売買が頻繁に行われ、出来高が増えることにより、その会社の業績にも注目が集まる。

その結果、より適正な視点で企業の株価が評価されるようになるのだ。

株価が上がれば、株式交換による資金調達など、財務面での様々な選択肢を企業は持てることになる。

ここまで説明すれば、経済活動を営む企業や個人で、社会や経済に貢献していない人など存在しないことがわかるだろう。

株式の売買を例にしたが、この構図は不動産投資についても同じだ。家賃収入は確かに半自動的に入ってくる。

だたし安全で快適な住宅を提供するというバリューを提供し続けない限り、その状態も続かないだろう。

不動産売買においても、その不動産を売りたい人と買いたい人がいるから市場が成り立つわけで、それは市場経済を活用した経済活動そのものだ。

そこに、貢献や意義がないはずがない。

事業や投資を営む本人が、自分のやっていることの社会的意義をどのように考えるかは自由だ。

それはそれぞれが持つ理念に沿って考えればいい。

だからと言って、他人のやっている事業や投資について、意義の有無を論じることの根拠が生じるわけではない。

投資は社会貢献にならないという批判自体が、資本主義社会の仕組みから考えてもおかしいのだ。

この記事の監修者

不動産投資ユニバーシティ代表 志村義明
大学を卒業後、大手シンクタンクに入社。リテール金融ビジネス向けの業務に従事。愛知、埼玉、山梨等で不動産賃貸業を展開し、会社員時代に合計100室超を購入。高利回り物件の投資を得意とし、保有物件の平均利回りは16%超にのぼる。現在は不動産会社(宅地建物取引業者 東京都知事(2)第98838号)を経営。
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