代表者インタビュー
【プロフィール概要】
不動産投資家。大学を卒業後、大手シンクタンクに入社。本業とは別に愛知、埼玉、山梨等で不動産賃貸業を展開し、合計120室超を保有。地方高利回り物件の投資を得意とし、保有物件の平均利回りは16%超にのぼる。
運営サイト「不動産投資ユニバーシティ」の全ての記事を執筆・監修しており、自身が実践して得た不動産投資に関する300以上のノウハウを無料で公開している。著書『会社に勤めながら資産をつくる「不動産投資」入門』(日本実業出版社)は3回増刷を重ねており10,000部以上販売された。
※インタービュー内容の書き起こしになります。
志村です。本日は私の経歴をお話しするとのことですので、バックグラウンドから詳細にお話ししたいと思います。
大家業を知ったのは子供の頃
大家業が仕事になることを初めて知ったのは、子供の時までさかのぼります。
初めて大家さんと言う言葉を知ったのは祖父が母方マンション管理業をやっていた話を聞いた時です。祖父の家計は元々地主で元々勤めていた会社を定年前に辞めて大手デベロッパーに土地をおろす地権者として交渉する活動に専心していました。
この祖父は母型なので、私が持っていた不動産を相続したりしているわけではなく不動産投資の基盤が何かあったわけではありませんが、逆に言うと私の経歴の中で不動産にかかわった経験があるとするとそのくらいです。
父は普通の会社員で母は専業主婦の家庭でしたし、経営者や自営業者が親戚に多くいるというわけでもありませんでした。会社員として過ごす人が多いごく普通の家系でした。
ごく普通の家庭で育つ
私はもともと東京出身ですが、他の人と違う点があるとすると子供の時にオーストラリアのシドニーに4年間暮らしていた経験があるということだと思います。いま思うとその時の経験は多少人格形成に影響しているかもしれません。
シドニーには自発的・能動的な希望で行っていたわけではなく、10歳で親の転勤についていった形でした。なので留学ではありません。日本人学校に入りたかったんですが、親がその当時日本で通っていた小学校の先生と相談した結果、現地校に入るということになったようです。
10歳だと語学を習得するには丁度いい年齢だと思われるかもしれませんがそんなことはなく、一般的には現地校に入れるには少し遅いぐらいの年齢だと言われています。なので英語の家庭教師からは「あなたより(2つ下の)妹の方が英語を覚えるのが早い」と言われていましたね笑
オーストラリアはアメリカと同じ移民の国ではありますが奴隷制度などがあったわけではないので基本は白人社会の国です。顔かたちが違うし英語もしゃべれないのでマイノリティだという自覚は子供ながらにありました。なので、今でも考え方とか生き方の多様性には寛容な方だと思います。LBGTでも無職でも「いいんじゃないの」という感じです。オーストラリアの経験は決して楽しいことばかりだったわけではなく、言葉も友人関係も慣れないことが多く苦労もしました。
でもその時代の日本人はバブルで凄かったですね。シドニーにある宝石店までツアーバスで乗り込んでオパールなどの宝石や装飾品を買いまくってました。歓迎する面もあり、ひんしゅくを買う面もありという感じでしたが、日本人はお金があり日本製品はナンバーワンだという時代でした。私は子供目線ではたから見ていただけでしたが、節度がない感じが何となく恥ずかしかったですが・・・
中学三年生で日本に戻って来てからはもともと行っていた小中高一貫の学校に編入しました。もともと日本に戻る前提でいたので「日本語がおかしい」「漢字が書けない」という状態ではありませんでしたが、そもそも勉強が好きではなかったので落第しそうになりました笑
中学生で留年はさすがにまずいので多少勉強してどうにか高校に上がって大学までそのまま推薦で行きました。受験は一度もしていないので半年とか1年とかまとまった時間を取って勉強をする時期は人生の中でなかったですね。
でも勉強は人生の中で多少しておいた方がいいですね笑
就職して働き始めたあと思い知りますが、論理だてて考えたり技術的に難解な業務を高いレベルで行うには頭の基礎体力が必要です。いま私の周りにはいろんな業種の経営者が沢山いますが、上手く行っている人は勉強好きな人がほとんどです。
アルバイトは高校の時に飲食店で少しと大学時代に単発でやっていただけだったので、お金は常にありませんでした。「働き始めてから稼げばいい」と思っていたのでそれでよかったという感じです。良くある話のように商才を学生時代から発揮してイベントをやったり露店販売をやっていたなどというエピソードも特段ありません。株などの投資もやっていませんでした。
大学時代には山岳部に入って中国の6,000mの山に登りに行ったり高校の時からやっていた極真空手に打ち込んだり、自分なりに頑張って過ごしていました。サークルに入って遊びほうけたり雀荘やパチンコに通い詰めるようなこともなかったです。いまと違い、お酒を飲むこともあまりありませんでしたね笑
就職する
就職活動はIT系の企業を中心に見て回りました。日経平均が7,000円台になるような年だったので就職も超氷河期だと言われていましたが、自作の自己紹介冊子を作って面接官に渡したりするなどいろいろな工夫をしました。その結果、面接ではほとんど落ちることなく内定もいくつか貰いました。
就職先を選ぶのには結構悩みましたが、ゆったりとした雰囲気の大手メーカーよりも自分と少しカラーが違う日系のシンクタンクにエンジニアとして入社することを選びました。同期入社は270人ぐらい居たと思います。
私は文系だったのでITの技術的な勉強は入社後にゼロから学びました。その過程で、早くもこの仕事にあまり向いていないことがわかりました笑
プログラムやテストケースを一行ごと見るような細かい仕事があまり好きではなかったんですね。
優秀な人がハードワークする会社だったのでついていくのも大変でしたが、結果的に3年やってエンジニアの道は諦めて営業やコンサルティングを行う仕事に社内で職種転換しました。
朝から晩まで会社にいたので平日は仕事一色でしたし、仕事を家に持ち帰って休日に提案書を作ることもありました。顧客のため事業に関わる人のためになりたいと強く思っていましたが、会社で出世して偉くなりたいと思うことはあまりありませんでしたね。とは言え、年収が毎年7-80万円ぐらい上がる会社だったので他の会社よりも高給ではありました。
並行して従業員組合の活動を入社1年目からやっていました。労働組合では支部代表、執行委員とすべてその当時の最年少でなりました。組合の活動は同期入社の人たちを含めてほとんどの人は興味を示さないものでしたが、私の中では会社の業務と同じ位置付けでしたね。
社員側も会社側も会社全体の発展を願っていると思っていたので、人事的に評価されないからと言ってやらない理由はありませんでした。「社員が会社のために働き会社が社員のためを思えば、会社は間違いなく発展する」と本気で思っていました。
入社年次が若い時から組合の活動をしていたこともあり、最終的には従業員組合のトップの委員長になり社員が6,000人の代表として経済処遇の向上や残業時間の削減などについて取り組みました。この間2年間は会社の業務を離れて休職していました。意見を組合員から募ってそれを会社と折衝するのが基本ですが、賞与交渉などの場合自分で方向性を決めます。何が正しいのかの確信を持つのに苦労する場面が幾度もありました。
しかしながら、組合の事務所は事務局担当の社員1人、事務員2人の小さい所帯で予算を作り活動して経理処理なども行っていたので、その経験は会社を辞めたあとにも活かされました。
会社に復帰して半年ぐらいたってから、不動産の分野で独立をしようと思い辞めました。執行委員長までやって会社を辞めたのは私が初めてでした笑
不動産投資を始める
話が前後しますが、投資自体は興味があったので入社して数年経ってからはアナリストレポートなどを読んで少しばかりの株や投信を買っていました。
新興市場(ジャスダックやマザーズ)の中小株やインド株のADRなどもやっていましたがご多分に漏れずリーマンショックでかなり損をしました。
インドのシステム会社の株は粉飾決算で90%ぐらい暴落してそれだけでかなり痛手を被りましたが、そのタイミングで更に買い増してトントンになったぐらいで株取引自体を辞めました。
不動産投資を知り勉強し始めたのは2009年の年末ごろでした。本やネットを見て「これなら出来そうだ」と思い。3か月後に初めてRC物件を買いました。
株やほかの投資と違い不動産投資の何が良かったと思ったかと言うと、資産を積み上げが出来るという点です。トレードの仕方にもよりますが、株やFXなどの投資は一時的に利益を得たとしても下がるリスクが常にあります。不動産投資の場合、良い物件を購入すれば常に家賃が安定的に入ってくるので次の物件購入に全力投球出来ます。地道ではありますが、このように「積み上げ式」の投資である点にすごく魅力を感じました。
そこからは休日は不動産投資ばかりやってましたね。会社の同僚からは「独身で趣味もなさそうだけど休日は何をやってるの?」といぶかしがられてました笑
身近に習う人がいなかったので色々なセミナーに出て勉強していました。地方の高利回り物件を狙っていたので、休日に地方の不動産会社に行ったりするのはもちろんのこと、平日でも都内から山梨県や栃木県に行って物件を見に行ってました。
地方の高利回り物件はほとんど周りに何もない場所にアパートが建っているだけのようなものも多く、夜に見に行くとほぼ何も見えません。
さびれた駅からタクシーで向かうんですが、着いてからもタクシーに待っててもらわないと帰ることが出来なくなるのでそこは気を付けていました笑
頑張って活動していましたが最初の物件を買った後は物件探しや融資付けに苦戦して、1年以上買えない時期もありましたね。
いい物件だなと思って買付を入れても偽装入居があったりとか騙されそうになったりしたこともありました。不動産会社の社長にお金を貸して返ってこなくなりそうになったこともあったので「本当にこのまま続けて大丈夫なのか?」と自問自答していたこともありました。
1人で活動することの限界を感じていたのもこの時期です。やはり成功している人から話を聞いて自分の活動に取り入れることは絶対に必要です。
だいぶ非効率的で無駄な活動もしていたわけですが、色々な人からの手助けを得て徐々に利回り20%以上の物件も手に入れることが出来るようになってから安定した収益を得ることが出来ました。
ちなみにこういう物件は超ボロい物件なので初めて購入する物件にはお勧めしません。ある程度自分でリフォームの感覚が掴めてきて「この位の壊れ具合なら〇万円で直るな」というぐらいを自分で感覚値として持てないと厳しいと思います。
会社の仕事も続けながらだったのでけっこう時間的に無理もしていました。夜中の二時まで起きて物件を精査したり銀行用の資料を作ったりしていたので。その当時なぜそんなに頑張れたかというと、いろんな業種の自営業者の友達が多くいて自分自身も会社に頼らず事業をやりたいと思ってました。年収は高い会社でしたが、仕事を選べるわけでもないですし精神的にも時間的にも拘束されていると感じることが多かったからです。
そのためにはある程度の投資規模にして安定収入を確保しないといけないと当時は思ってました。このように投資を続ける目的が明確だったのは結果的に良かったと思います。
やはり目標を決めて自分自身をストレッチするような環境(自分がそれを達成しないと痛みを感じる状況)を意図的に作らないと飛躍的な成長はなかなか望めないと思います。
不動産会社を設立
会社を辞めた後は1か月ぐらい自由にしていました笑
でも不安な気持ちの方が大きかったので、何をやろうかと考え始めました。
そのときにたまたま「ポータルサイトを作成するための教材」というのが2万9800円ぐらいで売られていてそれを買って不動産投資のサイトを作ることにしました。
単に「自分の知っていること書いて読んだ人の参考になれば」という気持ちで書いており、最初は自分の持っているノウハウや知識がそれほど価値があるものだとは思っていませんでしたが、1年ぐらい経過してから幸い多くアクセスを集めるサイトに成長しました。
書籍を出版出来ることになったのもこのころです。出版社の方から「ぜひ書いてください」という依頼が来たらカッコいいと思いますが、実際はそんなことはなく自分から20社以上の出版社をあたりました。
世の中に不動産投資関連の本がたくさん出ているので「自分でも書けるのでは?」と思っている人がいると思いますが、私は出版するのに2年以上の時間を使ったので、私の場合はそんな甘いものではなかったですね笑
ほとんどのビジネス書がどうやって出来上がるかについてですが、私も多少書籍に関する情報をかじる立場になって知ったのですが、実は著者自身が実際に書いている本というのはあまりありません笑
著者は数時間のインタビューを何回か受けるだけで、実際の文字はその内容を元にライターが書いていることがほとんどです。
では、私の書籍はどうかと言うと、すべて自分でゼロから書いたのでかなり大変でした。1日4-5時間執筆するのを3ヶ月ぐらい続け、更に校正に3ヶ月掛けました。嫌と言うほど読み返したので、出来上がった本は一度も読んでいません笑
この書籍は幸い多くの方に読んでいただきました。ほとんどの書籍が重版されないまま2-3,000冊程度の販売で終わる中、私の本は広告をほとんど出していないにも関わらず3回重版されて10,000部以上売れています。
せっかく書くのであれば良い内容にしたいという思いはネットで書く場合もメールマガジンを書く場合も常に持っています。
いま現在の活動
家の近くに事務所を構えているので、あまりストレスなく仕事が出来ています。昼間は人と会ったりすることが多いので外出していますが、会社員の時と比べるとかなり自由な時間は増えました。
高利回りな物件を100室以上保有しているのでやろうと思えば仕事は必要最低限にしてもっと自由に暮らすこともできると思いますが、仕事は嫌いではないので私の性にはあまりあっていないようです笑
とは言え海外には年3-4回勉強しがてら行きますし、自分の人生設計は自由に作ることが出来ます。そのような環境は会社員時代にはなかったことなのでその点は辞めてよかったと思います。
家賃は安定的に入ってくるので、その基盤があるのはすごく精神的にもいいと思います。
不動産会社を作ったのに伴い社員も雇用しているので、キャッシュフローを良くするために物件は保有するだけでなく買ったり売ったりすることが最近は多いです。
セミナーも定期的にやっており、最新の情報を皆さんに提供しています。
私は自分が不動産投資を教えている人たちにはキャッシュフローを重視する投資をすることを勧めています。
キャッシュフローとは家賃から管理費・水道光熱費・銀行への返済などを引いた手残りの金額のことです。この金額が厚ければ厚いほど安定した賃貸経営が出来るからです。よく繰り上げ返済をするべきかどうか聞かれますが、この低金利下ではしない方がベターです。
何故かというと繰り上げ返済をして手元にキャッシュがなくなると急な修繕が発生するようないざという時に何もできなくなってしまい可能性があるからです。
キャッシュフローを重視して手持ち資金を出来るだけ厚くすることがリスクヘッジ面からも有効なのです。
私が教えている人には狙うべき物件のキャッシュフローの水準を数値で示しています。このくらいの割合でキャッシュフローが出る物件を買いましょうということです。ただし結構厳しい数値ので、なかなか私が求める基準の物件を探すのは難しいです。でもそういうやや割安感がある物件を買うべきだと思っています。
過去に数百人分のデータを分析したことがありますが、自己流でやって物件を買っているいる人の90%以上は私が設定するキャッシュフローの基準に達していない物件を買っていました。
数千万ものお金を投じて物件を買うのであればしっかり勉強してセミナーなどんも参加してからの方がいいと思います。
不動産投資で難しいのは1つ目の購入だと思います。1室目ないし1棟目は残債がないので簡単に購入できてしまいますが、同時にその状況は経験・知識がない場合がほとんどなので、不動産会社に勧められるがままダメな物件を買って失敗しているのをたくさん見ています。
その状況から2棟目3棟目でリカバリーすることももちろん可能ですが、出来れば1つ目からいい物件を買いたいところです。
最近は私がやっているセミナーや講座に参加してくれた人が会社を辞めて専業大家さんになる人がドンドン増えていて、毎月100万円以上の利益を不動産から得ている人は数えきれないぐらいいます。
私が話した内容やアドバイスが本人たちにとって一番いいやり方だったかどうかはわかりませんが、本人の努力によって私が求める厳しい基準の物件を買ってい実際に多くの利益を出しているという報告を幸いたくさん聞けているので間違っていなかったと胸をなでおろしています。それだけプレッシャーも感じながらアドバイスをしていますし、そうするべきだと思っています。
私自身も投資家として歩んで行きたいと思っていますし、常に新しい情報をキャッチして皆さんとともに成長したいと今でも強く思っています。