芸能人や政治家が住む東京の高級住宅地とは1

東京の本当の高級住宅地はどこなのかということは、多くの人が疑問に思っていることだ。

イメージで言うと、田園調布、白金、松濤、広尾などが多いのではないだろうか。

間違ってはいないが、今現在一般的に高級住宅地だと言われている場所と、歴史的に高級住宅地として認められていた場所は、異なる場合もある。

近年、交通機関が発達し、大手デベロッパーが盛んに喧伝することにより、郊外のニュータウンや東京の東側の湾岸地域などが注目されている。

品川、豊洲、有明などの地域が代表的な湾岸エリアの住所だ。武蔵小杉、新百合ヶ丘、あざみ野などはニュータウンではないが、2000年代中盤に入ってから注目度を増している地域だ。

しかし、本当に良いと言われている場所に住みたいと考える人は、決してこのような場所に住居を構えることはない。

本物の芸を持つ役者・芸能人や、代々続く政治家一家などの人達だ。

このような価値観の人は、しっかりとした歴史的な背景があり、昔から良い場所だとされているエリアに住みたいと考える人が多いのだ。

もちろん大前提として、考え方は人それぞれ違う。職場や親類などとの物理的な距離や、繁華街の近くに住みたいのか、自然豊かな地域に住みたいのかなどの個人の趣向により、どこのエリアがその人にとって一番ベストな居住地なのかは異なる。

当たり前だが、本人が良いと思える場所が、他の大勢の人にとってベストな場所でないこともあるだろう。それは芸能人や政治家も同じである。あくまでこれらの見解は一般論であることはご承知願いたい。

この項では、意外と知られていない東京の住宅地の歴史的な背景を考察することにより、東京の真の高級住宅地はどこになるのかについて解説しようと思う。

本物のエスタブリッシュメントが東京の各エリアをどのように考えているのかを知ることにより、自身の住居エリア選び際の参考にしてみてもらえればと思う。

江戸時代の大名屋敷

江戸時代は士農工商の身分が厳格だったこともあり、都心部の土地も身分によって居住地域が分けられていた。

その頃は、江戸城(皇居)の周りに大名屋敷があり、大名が居住する「上屋敷」、隠居した大名や世継ぎなどが住む「中屋敷」、規模の大きい別邸として庭園などが設けられていた「下屋敷」に分かれていたのだ。

大名屋敷は幕府から藩主となる武家に与えられるもので、元文3年(1738年)の規定では、1-2万石の大名で2,500坪、5-6万石で5,000坪、10-15万石で7,000坪となっていた。

加賀100万石の前田家は、10万坪以上を与えられており、東京大学の本郷キャンパスの敷地全体が上屋敷だったのだ。如何に広大な敷地を有していたかが容易に想像できるだろう。

参勤交代により、多くの大名は年の半分を江戸で過ごしていたため、石高に応じて広大な屋敷が必要だったのだ。

これらの大名屋敷は、現在の地図で言うと、下記のエリアに位置している。

上屋敷、中屋敷

  • 千代田区の丸の内、霞が関、紀尾井町など
  • 港区の新橋、赤坂、三田など

下屋敷

  • 新宿区の一部(新宿御苑、市ヶ谷、戸山など)
  • 渋谷区の一部(代々木など)
  • 港区の一部(六本木、麻布、白金台、高輪など)
  • 中央区の一部(築地など)

これらのエリアの周辺に、旗本などの武家屋敷があるのだ。

現代の地図で説明すると、山手線の内側が武家の居住地となっていたが、その中でも渋谷区、目黒区、品川区は、江戸時代では田舎の方に位置づけられており、江戸時代はその多くが田畑だった。

これが、明治時代になると様相が大きく変わってくる。

明治~大正時代の住宅地

明治時代になっても、皇居を中心として街づくりが行われていたが、いわゆる「山の手」と言われた高台がより好まれるようになり、東京の東側は下町と呼ばれ職人などが住むようになった。

山の手と下町の境は、武蔵野台地の東端だ。わかりやすく説明すると、山手線の日暮里~東京間あたりが境となって、西側が山の手、東側が下町となっていた。

これは、外国の文化が流れて来た影響が大きく、彼らが高台に価値を置く性質なため、明治維新後はより高台のエリアがより好まれるようになったのだ。

明治時代になって大名家が華族となり、町の様相も大きく変わることになった。大名屋敷がかつてあった武蔵野台地の東端に位置するエリアが、「山の手の中の山の手」と呼ばれる、高級住宅地となったのだ。

現代の町名に置き換えると、以下のエリアが当時から高級住宅地と呼ばれた場所にあたる。

  • 千代田区の番町、麹町、紀尾井町、永田町、平河町、九段、富士見、神田駿河台などの皇居周辺。
  • 千代田区の赤坂、麻布、六本木、三田。
  • 新宿区の市ヶ谷、信濃町。
  • 台東区の上野桜木。

また、城南五山と呼ばれた、池田山・御殿山・島津山・花房山・八つ山の高台も、上記エリアと同等レベルだと言われるようになった。

これらのエリアは高台に位置しているだけでなく、地盤も強固で安全な地域だったので好まれたのだ。

山の手側に位置していても、渋谷駅や恵比寿駅の周辺は渋谷川沿いの低地に位置している。

同様に、代官山は高位に位置しているが、隣の中目黒は目黒川沿いの低地なので、かつてはあまり発展していなかった。

昭和時代の住宅地

大正から昭和に変わると、人口増による郊外化が進み、これまで住宅地があったエリアの更に西の方にも住宅開発が進んでいった。

東京信託により、世田谷区桜新町・深沢が計画的に開発され、東京急行電鉄の前身となる田園調布株式会社が洗足と田園調布を開発した。

他にも、成城学園が手掛けた成城エリアや、玉川村が開発した等々力、自由が丘、青葉台などのエリアが新たに開発され、後に高級住宅地として評価されることとなった。

江戸時代には、下渋谷村・三田村と呼ばれ、江戸郊外の下屋敷が集まるエリアとして存在していた渋谷・恵比寿も、昭和に入り大きく発展した。

また、庶民の町屋や雑木林などが広がっていた表参道・青山近辺は、明治時代は中流の住宅地だった。しかし昭和に入ってから高級住宅地となり、平成の現在までその価値を維持し続けている。

芸能人や政治家が住む東京の高級住宅地とは2に続く。

  • twitter
  • facebook

トップ1%の物件を3か月以内に買うのも夢じゃない!
オンライン講座で学べる不動産投資戦略。

無料オンライン講座とは

メールアドレス

ご記入いただいた個人情報は、不動産投資ユニバーシティ<アパート経営・資産運用>のメール配信とご案内のみに使用させていただくものです。あなたの個人情報が第三者に渡されることはありません。詳しくはプライバシーポリシーをご覧ください。

関連記事

無料オンライン講座 物件購入・融資付けノウハウを学ぶ

特集

  • 電話やスカイプで直接相談ができる!面談お申込み
  • メガバンクから金利1%台で融資を受ける方法
  • 消費税還付で500万円得した事例
  • 不動産投資のリスク
  • 不動産投資のアパートローン活用講座
  • リフォーム事例と費用
  • 講師代表 志村義明氏インタビュー
  • 会社に勤めながら資産をつくる「不動産投資」入門